1920年代
1923年

創業者である佐藤秀雄が、大阪市港区市岡通り1丁目10番地において「佐藤紙器工業所」を設立。
丸筒製造専門工場としてスタートし、主として電気業界に販路を開く。

1930年代
1932年

「合名会社昭和丸筒工業所」に改組。この頃より、大阪陸軍造兵廠の指定工場になり、薬莢蓋、鉄砲弾丸筒容器などの製造に着手する。

1940年代
1943年

株式会社昭和丸筒となる。 佐藤秀雄が代表取締役社長に就任。資本金10万円。 陸軍造兵廠監督工場に指定される。

1948年

独自の技術によって、化繊用各種紙管の製造を開始。

1949年

コーン紙管完成。

1950年代
1952年

チーズ紙管完成。
分散していた工場を現在の大阪工場に統合。

1954年

ナイロン用紙ボビンの開発に成功。

1960年代
1964年

3月オーストラリアTCT社と資本・技術提携に調印。同時にアメリカ・ソノコプロダクツ社、イギリスTPT社、アメリカDMM社、クリセントプラスチック社とそれぞれ技術導入契約を結ぶ。
8月、昭和プロダクツ株式会社(資本金1億5,000万円)を設立技術導入を開始。

1966年

大阪工場に鉄ホビンの自動塗装設備の完成。鉄ホビンの防錆技術、表面処理を確立、量産設備完成。さらに、コーン紙管生産ラインを増設。
社長・佐藤秀雄が死去。代わって佐藤㓛が代表取締役社長に就任。

1967年

昭和化成工業株式会社(資本金800万円)を設立

1970年代
1972年

コンポジット缶使用の「タッチポン」が全国に発売される。

1975年

POY、DTY用紙管を開発、量産を開始。

1980年代
1980年

トナー容器、Hコアー、地球儀の製造を開始。

1987年

昭和エンジニアリング株式会社を設立。プラスチック製品金型製造に進出。

1990年代
1990年

昭和プレス工業株式会社を設立(資本金2,000万円)合弁会社ソノコアジアの設立。昭和丸筒資本金1億円に増資。

1992年

PAXYシリーズの製造を開始。

1994年

英国ケンブリッジ大学と「紙のトライボロジー」につき共同研究契約を締結。

1995年

社長・佐藤が代表取締役会長に、佐藤潤が代表取締役社長に就任。

1996年

オランダIPN社とCCS(クリーンクリックシステム)のライセンス契約を締結。

1997年

「昭和ミュージアム」開館。

1998年

8月、“XY”ペレット量産開始。
12月、鈴鹿事業所にてISO9001取得。

1999年

昭和丸筒本社を大阪市北区から東大阪市に移転。

2000年代
2002年

7月、昭和プレス工業株式会社を解散。
10月、昭和丸筒香港有限公司(資本金HK$300,000)を設立。
12月、岐阜事業所にてISO14001取得。

2003年

昭和丸筒香港有限公司、中国内で委託加工生産を開始。

2004年

10月、桜紙管工業株式会社の事業を継承

2005年

社長佐藤潤が代表取締役会長に、岩本泰典が代表取締役社長に就任。

2006年

3月、茨城紙管株式会社の事業を継承

2007年

3月、中期事業計画クリエイト!NEW SHOWA策定。(3ヶ年計画)
8月、昭和丸筒香港有限公司、中国内での生産を終了し、日本国内へ生産移管。

2008年

8月、大字紗筒股有限公司の所有株式を売却。

2010年代
2010年

4月、ISO9001認証をグループ全社に拡大

2010年

6月、株式会社パックプラスを会社分割により設立

2011年

4月、ISO14001認証をグループ全社に拡大

2013年

4月、昭和丸筒香港有限公司の登録を抹消する。
11月、創業90周年を迎える

2015年

10月、社長岩本泰典が取締役副会長に、湯浅祥弘が代表取締役社長に就任

2016年

4月、大西工業株式会社の株式の35%を取得、商号を三幸プロダクツ株式会社に変更

2017年

6月、桜紙管工業を昭和プロダクツ徳島に、茨城紙管を昭和プロダクツ茨城に商号変更

2018年

5月、システムエルエスアイ株式会社の株式の33.5%を取得、業務提携契約を締結

2020年代
2021年

2月、昭和化成工業、有限会社東邦製作所の事業を継承
5月、昭和プロダクツの資本金を1億円に減資
6月、昭和プロダクツ、昭和プロダクツ徳島と昭和プロダクツ茨城を吸収合併

2022年

7月、会長佐藤潤が代表取締役会長兼社長に就任